陸軍を震撼させた小さな社! 千種稲荷神社

JR総武線と地下鉄半蔵門線が乗り入れる錦糸町駅は、沿線でも最大級の繁華街を誇ります。
そんな賑やかな錦糸町駅のすぐ隣ともいえる場所に錦糸公園があります。

さらにその錦糸公園の片隅に、ひっそりと鎮座する小さな神社があります。

千種稲荷神社です。

江戸時代、この周辺は湿地帯で、現在では想像できないほど荒廃した土地だったといいます。
寛文から延宝の20年間に、徳川幕府4代将軍の家綱により、治水を目的とした土木工事が行われるようになりました。さらに武家の下屋敷の敷地として、整地を行うようになりました。

商業も許可され、横十間川が舟運の盛んであったことから、武家屋敷が横十間川をはさんで両側に軒を連ねるようになったといいます。
そんな時代にこの地域の守護神として祀られたのが始まりと伝えられています。

その後、明治の時代になってからは武家屋敷は解体され、農耕地に変わっていきます。
それでもこの稲荷社は保護され、郷土の守護神として残されました。

この神社を語るうえで外せないのがその後の出来事です。

政府は陸軍糧秣廠本所倉庫をこの地に建設することにしました。
敷地内にこの稲荷社があったため、陸軍省は稲荷社を取り払ってしまったのです。

その結果、倉庫や周辺に再三火災が発生するようになりました。
陸軍省もこの問題を取り払ったままの稲荷社と関連付け、旧位置に再建して祀るようにしました。

すると不思議なことに、その後は火災等は全くなくなったといいます。
まさに陸軍省を震撼させた災いを稲荷社の復活により取り除くことができたということです。

大正12年には関東大震災でした。この地域も例外なく灰燼に化しました。
しかし、稲荷社には少しの被害を受けなかったといいます。

昭和3年になると、錦糸公園が開園となりました。
そのため、再び稲荷社も公園建設の際に放置されたままの状態でした。

ここでも奇跡が起こります。
神田から製菓業者が公園周辺に集団移転してきましたが、営業開始早々に町内に火災が多発するようになったのです。ある行者が、守護神である稲荷社が放置されたままになっていると告げられ、慌てて町内の有志により稲荷社を探し出すことにしました。さらに公園課の了解を得て稲荷社を旧位置に祀るようにしたのです。

その結果、火災は再びないなったといいます。

また、太平洋戦争の大空襲でも稲荷社は被害を受けず、逆に大勢の人々が境内に避難してきたといいます。

それほどまでに強力なパワーを持つ稲荷社ですが街の公園の片隅の、ほんの小さな社にしか見えません。
都市伝説化した歴史かもしれませんが、今でもきれいに整備された聖地という雰囲気は漂っています。ヌミノーゼ体験するかどうかは別に、錦糸町駅のすぐ近くなので、ぜひ寄って頂きたい神社であるのは間違いありません。

東京都墨田区錦糸4-15 錦糸公園内

オットー・ヤーパン

投稿者プロフィール

ヌミノーゼ巡礼管理人兼巡礼者。
弘法大師入唐求法1200年を契機として、世界各国の様々な聖地に赴き、そこでのヌミノーゼ体験によりこのページを開設。

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