諏訪大社上社の神宮寺に弘法伝説! 神宮寺跡・法華寺

諏訪大社上社本宮二之鳥居前から御手洗川に沿った上り坂があります。

この時期は大勢の参拝客で賑わう諏訪大社上社ですが、この坂を登る人の数は決して多くありません。
上社本宮の拝殿の延長上にあたる地域を歩くことになるので、そう考えると神聖な気分にもなります。ヌミノーゼ巡礼らしい道といえます。

まもなく法華寺の山門前に出ます。
ここから先は諏訪大社の神宮寺跡地に相当します。法華寺もいわばその一部です。
上社(諏訪市)と下社(下諏訪町)の2社から成る諏訪大社ですが、それぞれに神宮寺が開創されていました。この上社には大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺がそうでしたが、現在は法華寺だけが残っています。

神宮寺とは、神仏習合で神社に付属して造られた寺院のことです。
諏訪大社の場合は、古事記や日本書紀でおなじみの逸話から出雲との関係で成り立つ古社ですから、神宮寺はかなりの後発となります。

しかし諏訪大社の神宮寺はかなり栄えていたようです。
ところが明治以降の廃仏毀釈により、繁栄していた諏訪大社の神宮寺も、現在では法華寺を除き全て取り壊されています。

さて、この神宮寺ですが、弘法大師創建と伝えられるています。つまりもともとは真言宗だったようです。
さらに神宮寺奥殿は普賢堂で、坂上田村麻呂が開創、弘法大師・空海が現在地に移したともいわれます。坂上田村麻呂に弘法大師・空海の伝説が加わっているわけですから、諏訪大社に負けないほどのパワーを秘めているようです。

五重塔は普賢堂の西にありましたが、今では跡地だけが残っています。丁度、今の季節は雪があるため白い空間だけを目にしました。

史料によると、享保18年(1733年)には、神宮寺、五重塔、普賢堂、神洞院、如法院などがあり、本宮境内には如法堂、蓮池院などがあったとされています。

現在は神宮寺跡は公園となっています。マレットゴルフ場にもなっています。
残念なのは普賢堂跡などはマレットゴルフのゴール地点になっていることから、貴重な遺跡が踏み荒らされた状態になっています。

諏訪大社上社本宮の周辺は宅地化も多くされていますが、さすがに神宮寺跡地には宅地開発せれていません。それでも何となく残念な気持ちになります。

ちなみに唯一残存する法華寺ですが、ここはここで歴史の一幕があった寺院です。

甲斐の武田氏が諏訪明神を篤く信仰していたのは有名な話ですが、武田勝頼を滅ぼした織田信忠は、諏訪大社上社の全てを焼き払いました。
陣所とした法華寺に乗り込んだのが織田信長です。

このとき、目の前に広がる太古から続いてきた諏訪大社の灰じんと化した光景を見ています。今でも伝統的な神事として続く御柱も焼き焦げていたでしょう。

霊験あらたかな諏訪の大切な神域を崩壊させ、その凶器を目の当たりにした人々は、その後、2ヶ月後に本能寺で自害したことを、諏訪明神の神罰として考えていたようです。

ちなみに本宮の四脚門は、徳川家康の寄進によって造営したようです。

諏訪大社上社本宮に参拝に来たら、ぜひともここまで足を運んでほしい場所です。歴史的なものだけでなく、何となくこの空間が発する「何か」を感じるような気もします。

長野県諏訪市中洲神宮寺856

オットー・ヤーパン

投稿者プロフィール

ヌミノーゼ巡礼管理人兼巡礼者。
弘法大師入唐求法1200年を契機として、世界各国の様々な聖地に赴き、そこでのヌミノーゼ体験によりこのページを開設。

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