里見伝説に彩られた古刹! 長勝寺

群馬県太田市の国道354号線の旧道から住宅街に入り、群馬県立がんセンターの東側にある長勝寺。
ここは江戸時代後期の滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』でお馴染みの里見氏の伝説に彩られた寺院です。

『南総里見八犬伝』といえば、安房里見氏の伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八犬士の長編伝奇小説ですが、では里見氏はというと、一般的には里見の名の由来は新田義俊が現在の高崎市里見に移り住んだこと発するといわれます。
しかし、実は系図によると義俊は新田竹林六郎太郎とも称していて、新田庄竹林は現在の太田市高林でになります。当時の竹林郷です。

新田義俊は、贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子であり、里見氏の初代といわれます。
本宗家の新田義貞と鎌倉倒幕に加わった一族です。
室町時代には一族が南北朝に分断され、その後、戦国時代には安房里見氏として、千葉の房総半島に勢力を持つ戦国大名となりました。

ここから滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』に繋がるわけです。

では肝心な長勝寺はというと、治承4年(1180年)、新田義俊は竹林郷の地に中央薬師の祀る堂宇を建立し、本尊とし、高野山から義勝大和尚を請し開山したのが始まりといわれます。宝光院荷悲山長勝寺の誕生です。

それほど広い境内ではなく、道を挟んだ南側には地蔵尊堂が建っています。多くの庚申塚を見られます。

最後にヌミノーゼを刺激する伝説の謎です。

新田(里見)義俊は嘉応2年(1170年)に35歳という若さで没したとされています。長勝寺の創建が治承4年(1180年)ですから、この寺院の創建時にはすでに亡くなっていたことになります。
単なる伝説で、真実ではないのでしょうか?

もちろん答えは分かりません。
しかし里見義俊の菩提寺は高崎市中里見町の光明寺で、この寺院には義俊の没年を建仁4年・元久元年(1204年)と伝わっているといます。もしこれが事実なら長勝寺の創建には矛盾は生じません。

いずれにしても里見伝説を彩る雰囲気を感じて、『南総里見八犬伝』を読むのも悪くないでしょう。

群馬県太田市高林南町774

オットー・ヤーパン

投稿者プロフィール

ヌミノーゼ巡礼管理人兼巡礼者。
弘法大師入唐求法1200年を契機として、世界各国の様々な聖地に赴き、そこでのヌミノーゼ体験によりこのページを開設。

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