弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯(山梨周遊編) 第1回

※平成17年発刊の「弘法倶楽部」第3号に掲載されていた記事を、基本的にオリジナルのまま掲載しております。一部編集箇所等はございますが、現在とは異なる箇所がございます点、予めご了承ください。

山梨県の温泉は名のある所だと武田信玄、いわゆる「信玄のかくし湯」と呼ばれる所が殆どで、弘法大師ゆかりの温泉は殆ど聞かない。というより私は「ない」と思っていた。
西日本だけではなく甲信越及び東日本に於いても、前号での茨城をはじめ各県ごとに点在しているが、山梨の湯は信玄のイメージが強過ぎるせいか弘法大師の存在をまったく見出せなかった。(私の勉強不足に他ならないが…)
前回の山陰とは違い山梨は東京からも割りに近く、私の温泉行脚の中でもいわばホームグラウンドのようなエリアである。

実際にこの度の企画に於いても初入湯になるのは湯村温泉のみで、他の二つはお得意さんのごとく訪れている。ただ今回はあくまで弘法大師という視点が入るので、今まで気が付かず素通りしてしまっていた発見に出会える期待もあり、前回より芽生えた探求意欲を更に高めてくれる旅になりそうである。
山梨県は「山はあっても山なし(梨)県、海はなくとも貝(甲斐)の国」などと言われるほど四方を山に囲まれた文字通り山国である。一応中部地方に加えられているものの、一部は東京都と隣接しており都心部からも比較的アプローチし易い。
また近い割りに南アルプス、奥秩父山塊、八ヶ岳など二千~三千メートル級の山々やその周辺には原始的な自然や文化、また湯治温泉が残っており、気軽に「脱都会」ができるとあって、東京からの日帰り観光旅行には最適な場所といえる。

私も都内中央線沿線に住んでいるということもあり、朝起きて晴天→気が付いたら車窓の山旅、なんてなこともしょっちゅうで、一時は高尾から甲斐大和くらいまでに点在する名も無い鉱泉を虱潰しに訪れたり、沿線付近を見下ろしている千メートル前後の山々にかたっぱしから登ったこともあった。今でも高尾発の甲府行き普通電車に乗ると「あ~、また来ちゃった」と言うことになってしまう。
東京都心部を抜け八王子から先はいきなり山が迫ってくる。ある意味、東京駅を起点とすれば最短で『山岳』に到達できるラインといえるのではなかろうか。

この度は、かように比較的近場であるにもかかわらず、三泊四日という行程を得た。前回の強行軍とは大違い。信玄の隠し湯下部温泉の歴史に埋もれた弘法大師の秘説、弘法大師ゆかりの湯村温泉とその歴史と共に始まった厄除け地蔵尊祭り。特に下部に関しては一般的な弘法伝説とは一線を画し、まさに秘説の領域に踏み込む可能性もある。その意味で今回の旅は、行程を生かして自分にとっての“未知の山梨”を見る絶好の機会だと思う。
そして結果的にこの号ではその前編として、下部から湯村の厄除地蔵尊祭りの前日までを追うこととなってしまった。
本来ならばこの号でこの行程は完結するはずだったのだが、途中経過の中で予定外の行動を要するケースも出てしまったのだ。
それはこの駄文を粘り強く読んで頂いた方のみぞに知って頂けると思う。

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現在、中央線高尾駅七時五十分。冬で空気が澄んでいることもあり、ホーム上でも既に山の空気を感じる。何度来ても自分にとっては至福の時である。
広大な関東平野もここをもって終わりとし、代わって生まれたての小兵の山達は次第に西方に勢力を広げてゆく。そして上方下方の同じような谷口集落から発生した兄弟達と交わり絡み合いながらやがて奥秩父山塊という巨大な山群を形成するのだ。
谷口集落というのはこう言った山と平野の切れ目に位置する場所であり、大概は山産業(林業や農業の一部など)と近代産業の中継をなす“まち”となる。
同じ東京都では武蔵五日市や青梅がそうで、埼玉県だと飯能や小川町と言うことになる。ここ高尾ももちろんその一つで、たしかに改めてグルリと見渡せば、西側にはすぐに山、東側にはビルやベットタウンが広がっている。その意味ではまさに『脱都会』の出発点といったところだろう。

高尾駅の天狗像

三泊四日の行程もあるので(ここで油断してはいけなかったのだが…)一泊目は弘法大師とは特に関わりの無いところに寄り道することにした。(編集長の顔が怖い)二泊目・三泊目のウォーミングアップとでも言って許してもらおう。
ただ今日行くところは個人的にちょっとこだわりのある温泉宿なのだ。城山温泉という一軒宿。
初めて訪れたのが三年前。もちろん(?)温泉ガイドブック等では殆ど採りあげられていない口コミのみで営業しているような宿で、私は紀行作家の野口冬人が自著の本で紹介しているのが目に留まり、興味を抱いたのが一番最初の発見である。それが初訪して以来すっかり気に入ってしまい今回で既に五回目を数えてしまった。今回は去年の十月以来の来訪となる。
実は今回のこの寄り道には連れがいる。私の友人の一人にM氏という男がいて、まあいわゆる旅仲間である。もうかれこれ十五年の付き合いになるが、ともに旅好き山好き温泉好きということもあり、以来様々な山やいで湯探訪の道連れとなった。
単独で自分の気に入った所を行き当たりばったりで旅するのが好きな男で、私もどちらかと言うと単独放浪が好きな方なので、双方の嗜好が一致した時に同行の友となるようだ。たしか一週間程前に彼と一杯ひっかけた時に今回の弘法倶楽部の企画の話が肴になってしまった。
城山も下部も一度彼と同行したことがあり、相当興味を示したようだったが、双方共さすがに全行程というわけにはいかず「城山は寄り道だから来てもイイぜ」ということになった次第。
甲府行き普通電車は八時十五分発。ウイークデイにもかかわらず、車内は沿線の冬枯れの山を目指すハイカーでいっぱい。

沿線は千メートル前後の低山が多いので、夏場よりむしろ空気の澄んだこの時期のほうがかえってシーズンといえる。晴れていれば、富士山はもちろん、遠く南アルプスまで望むことができる。逆に夏場はガスって展望はきかず、また藪コギや虫の襲撃と仲良くすることになる。まあそれもまたヨシだが…。
高尾から中継地の大月までは約三十分。高尾を出た普通電車はすぐに山間部に突入しトンネルの連続となる。しばらくして相模湖を過ぎると、中央線は緩やかな山肌を河に沿って走る。いつも見慣れた光景だがやはりイイもんだ。
M氏もこのところなかなか旅の機会に恵まれずいささか禁断症状気味だったようで一気の開放感を味わっている様子。八ヶ岳山麓の奥蓼科温泉郷、福島の湯岐、秋田の泥湯などかつて訪ねたいで湯の話で盛り上がる。なんだか一週間前の飲み屋での話しの繰り返しのようでもあるが、環境が変わるとまた楽し、である。
登山家の山村正光が『中央線各駅登山』というような本を著しているくらいだから、大月の手前の猿橋を過ぎた頃には、半分くらいのハイカー客は、各々の目的の山を目指して降りていった。大月着は八時四十五分。

大月駅

大月駅はログハウス風の趣のある駅舎で山の中のターミナル駅の風格充分。駅の裏側には岩殿山がデンと鎮座している。岩殿山はかつて戦国武将小山田氏の居城であり要害の地として馳せ、今でもその遺構がかなり残っている。
標高は五百メートル程度の低山であるが、適度にスリリングな岩場があり展望もすばらしいので、富士百景にも選ばれハイカーにも人気がある。
私も登ったことはあるが、どちらかと言うと、こんもりした御椀を伏せたような山容がなにか町を見守っているようでもっぱら下から眺めるほうが好きだ。

ここからは富士急行に乗り換え都留市方面に向かう。本日の目的地、城山温泉は都留市駅の一つ先の谷村町駅が最寄だが、時間も早く散策するにはいい距離なのでとりあえず都留市駅で降りることにする。M氏曰く「都留に行きたいうどん屋がある」そうだ。B級グルメを自称する彼に期待し、結果こっぴどく裏切られたケースが過去幾度となくあったので、あくまでも冷静について行こうと思う。
大月駅を出た富士急行線普通電車は、富士山を目指してぐんぐん高度を上げていく。大月が標高三百五十八メートルに対して終点の河口湖は標高八百五十七メートル。
約二十六キロの間で五百メートルも登ることになり、かなりの勾配で、JR最高地点を走ることで知られる小海線にも勝るとも劣らない山岳鉄道といえる。車窓に目を移すと田んぼや畑は少しずつ段をつくり、道はわずかに右肩上がりになっているのが「登ってるんだぜ」と主張しているかのようだ。

車窓の遥か先に雪化粧した富士山がチラチラ見えるようになってくると間もなく都留市駅に到着。所要時間十五分。都留市は四方を山に囲まれているものの、大学あり美術館あり寺社仏閣ありで結構文化都市の雰囲気がある。
富士急行沿線の中にあってはかなり街の規模は大きい方だろう。時計を見ると十時ちょっと過ぎ。まだ多少朝の空気が残っている。
しばらくぶらぶら歩いていると、突然M氏が「腹が減った」と訴え始めた。何!高尾駅のホームで駅そば喰ってまだ大して経ってないのに!?
通常会社勤めの彼は仕事日の昼食などはあまり食欲がなく、本人曰く「なにを喰ってもあまりうまくない」そうだが、一転旅に出ると異常に腹の減るのが早い。さらに聞くとどうやら転地効果の影響で、胃腸の調子の活性化を促し空腹感を早めるらしいのだ。
非常に分かり易い理屈だが、まったく根っからの旅好きだ。
自分の考えていた予定よりやや早いがまあいいか、私にも多少その気があるのは事実だ。
ということでさっそく例のうどん屋を探すことにする。M氏はあざとくインターネットかなにかで調べたらしい。手持ちの案内地図がえらくいい加減なもので、かなりうろうろする。街自体はいろいろじっくり散策したくなる感じだが、今はうどんへの欲求がすべてを陵駕している。
やがてやっと「あった、ありました!」省みると中心部からはやや離れた、郊外に位置していた。

『わかふじ』という屋号だが、のれんには『手打ちうどん』としか書かれていない。三階建てのビルの一階にあった。時間的にもまだ早いかなあ、とやや危惧するが『営業中』にホッとする。
のれんをくぐると、はたしてお客さんは一人もいない。まあ時間が時間だから当然か。ややシラけた表情のおばさん(おねえさん?)が一人でがんばっている。店内は田舎の食堂という感じ。
お互いに「まずはビールか」とばかりにメニューをみると、うどん以外にはつまみ類も幾つかあったが、煮たまごとか肉とか、要するにうどんの具が流用されているようだ。ただどれも異常に安い。さっそくおばさんにビールとつまみを三品ほど頼むと、笑顔で応じてくれた。実は明るい人柄なのかもしれない。
二人で気分よく飲んでいると、でっぷりした体格の男が入店してきた。あまり気にも留めずに飲んでいると、男が注文したうどんがきたのを見て驚いた。ちゃんぽん皿のごとく皿にうどんが高さ二十センチくらいも盛ってある。
更にすごかったのは、男はそれをものの五分足らずで全部喰ってしまったのだ。すぐ近くに座っていたということもあるが、非常に臨場感があり、二人で目を丸くしてしまった。言ってみればそれだけ「うまい」という憶測もできるので、否が応でも我々のうどんに対する期待は高まったようだ。
しばらくして、ぼちぼちお客さんが入ってきた。見た感じは、どう見ても〝近所の〇〇さん〟といった風情だ。どうやら地元の人たちの看板店的な感じ。
ビール・つまみが一通り落ち着いたので、満を持してうどんを注文する。私が東京の地元でよく食す「肉汁つけうどん」(いわゆる武蔵野うどんの代名詞)と同じメニューがあったので、それでいってみた。M氏も右へならえ。

うどんが運ばれてきたのは約三分後。飾り気のないざるにドバッと盛られている感じだが薄茶色のうどんが地粉によるものであることを物語る。早速一口食べた瞬間「をっ! うまいっ!」 すごいコシで、ムギュッと噛み締めると歯が押し返される感じ。なじみの深い武蔵野うどんに似ているがなお無骨でコシがつよい。つけ汁は濃厚ないりこの出汁に、先ほどつまみで頼んだもうに薄くスライスした豚肉が入っている。M氏共々替え玉を頼むまでさして時間はかからなかった。
武蔵野うどんもそうだが、うどんの文化が根付くところは必ずその土地や気候の条件(大概はマイナス的な)が共通している。一番大きな共通項は米作に適さないという点である。
例えば、その武蔵野うどんにしても、周辺の土地が関東ローム層であるため保水が悪く、水田には向かない地層だったために、アワ、ヒエ、小麦といった穀類の栽培に活路を見出したことから始まっている。都留うどんにしても同様で、穀物と共に歩んだ食文化が、この無骨なうどんとして今日に息づいているのだと言えるであろう。
しかし非常に安くて美味かった。これから城山温泉に行く時は、こことセットで考えようと思う。
自分が四国出身なので、こっちに出てくるまではいわゆる「さぬきうどん」しか知りませんでした。うどん文化も全国各地によって様々で、美味しかったと同時に大変勉強にもなりました。

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未だ弘法伝説に至らない段階で次回に続きます。

ドラケン 石原

投稿者プロフィール

ドラマー兼温泉紀行ライター。
ドラムを叩きながら独自の視点で温泉を語る。

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